《容斋随笔·卷十·致仕之失》
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大夫七十而致事,谓之得谢,美名也。汉韦贤、薛广德、疏广、疏受,或县安车以示子孙,卖黄金以侈君赐,为荣多矣。至于龚胜、郑弘辈,亦诏策褒表,郡县存问,合于三代敬老之义。本朝尤重之。大臣告老,必宠以东宫师傅、侍从。耆艾若晁迥、孙奭、李柬之亦然。宣和以前,盖未有既死而方乞致仕者,南渡之后,故实散亡,于是朝奉、武翼郎以上,不以内外高卑,率为此举。其最甚而无理者,虽宰相辅臣,考终于位,其家发哀即服,降旨声钟给赙,既已阅日,方且为之告廷出命,纶书之中,不免有亲医药、介寿康之语。如秦太师、万俟丞相、陈鲁公、沈必先、王时亨、郑仲益是已。其在外者,非易箦属纩,不复有请,间千百人中有一二焉,则知与不知,骇惜其死,子弟游宦远地,往往饮泣不宁,谒急奔命,故及无事日,不敢为之。绍兴二十九年,予为吏部郎,因轮对,奏言:“乞令吏部立法,自今日以往,当得致仁恩泽之人物故者,即以告所在州,州上省部,然后夷考其平生,非有赃私过恶于式有累者,辄官其后人。若真能陈义引年,或辞荣知止者,乞厚其节礼,以厉风谷,贤于率天下为伪也。”太上览奏,欣纳曰:“朕记得此事之废,方四十年,当如卿语。”既下三省,诸公多以为是,而首相汤岐公独难之,其议遂寝,今不复可正云。
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容斋随笔 卷十致仕之失译文
士大夫七十岁辞官退位,称为“得谢”,这是美好的名声。汉朝韦贤、薛广德、疏广、疏受这些人,有的悬挂所坐的马车来向子孙们夸示,有的变卖黄金来显示君主的恩赐之多,表现的荣耀多了。至于龚胜…详情
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